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学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」

20154月】「育つ・育てる・ということ…保育の中の思い出から

岡崎由美子

保育生活の最後に担任をしていた子どもたちがこの春、小学校へと巣立っていった。保育の現場で生活をしている間にはいろいろなことがあった。子どもやその親、家族の方々からたくさんの事柄を学ばせてもらってきた。保育は一見穏やかな仕事として思い描くが、ただ単に子どもと一緒に日々喜怒哀楽を共にするだけではなく、その両親の悩みや同居している祖父母の話にも耳を傾けなければいけない場面がたくさんある。子どもの成長・発達面で心配が生じた場合にはそのことを親御さんにどのように話をしたらいいのだろうかと悩み、一緒に専門機関に行ったこともあった。就学を目前にし、普通学級か特別支援を要する学級かの選択を迫られたときの親御さんの苦悩はまた、担任としての深い葛藤となっていったこともあった。長い年月の中で今でも忘れられない思い出がある。それは、5歳児クラスを受け持っていた時のAくんのこと。Aくんはいつもジーンズのオーバーオールをはき、(それが実によく似合っていた)ポケットには当時子どもたちのヒーローであったウルトラマンやガンダムのミニチュアを忍ばせ、毎日、友だちに見せびらかしながら歩いていた。友だちと賑やかに遊ぶのでもなく、近くに居合わせる友だちにポケットから取り出したミニチュアを見せびらかし、自分の方に引き寄せようとするAくん。Aくんの母親は、いろいろな事情から自分一人でAくんを育てようと毎日一生懸命仕事をしていた。日中の面倒は近くの祖父母が面倒を見ていた。

朝、保育室に入ってきたAくんは、カバンを始末すると直ぐにキャラクターものを取り出し得意げに友だちに見せびらかし始めた。ちょうどその場面に居合わせた私は、この時とばかりにAくんを叱った。「これを友だちに見せびらかさないと遊べないのだったら家に帰って一人でミニチュアと遊んだらいいよ、カバン掛けて帰りなさい!」。保育者の私はAくんを叱ると同時に怒りも一緒になっていた。Aくんの言葉にはできない心のひだに気づいていながらそのことを真正面から受けとめていなかった。Aくんは、恨めしそうに私を見上げると、ゆっくりカバンを掛け、とぼとぼと玄関を出ていった。Aくんが本当に出ていくとは思っていなかった私は大急ぎで祖父母の家に連絡をし、Aくんが帰って行ったことを話した。おばあちゃんは直ぐに来られ、「先生すみません、Aがいつも我が儘ばっかりして・・・でも家には帰ってないです」と、平身低頭で謝られた。二人でAくんを探していると、ジャングルジムの横にあるトンネルの中からばつ悪そうに出てきたAくん。おばあちゃんに叱られたAくんは、私と一緒に再び保育室に戻っていった。その後、校区外の小学校に入学していったAくんとは会うこともなかった。ある日のこと、職員室から何気なく園庭に目を向けると、うな垂れながらとぼとぼと歩いてくる男の子の姿があった。「Aくんだ!」私は職員室から駆け出しAくんに駆け寄っていった。3年ぶりに私と会ったAくんは木の枝を手にすると、園庭に字を書きだした。「先生、僕ね、○○になった・・」自分が書いた字を見つめながら話してくれたAくん。新しいお父さんを迎え、自分の名字が変わったこと、そして妹が生まれたことを伝えに来てくれたのだ。ここに居るAくんはミニチュアを見せびらかすAくんではない。新しいことを自分なりに受けとめ、自分なりに歩いていこうとしているAくん。新しい自分を伝えに来てくれたAくんが愛おしく、またその姿がとても嬉しかった。

月日が流れ、Aくんは医大を卒業すると、都会の救急医として超多忙な日々を送っている。今年の母親からの年賀状にはAくんに手術をしてもらった母としての気持ちが綴られていた。子どもが育っていく上では予期せぬいろんなことが待っている。しかし、世の中がどんなに変わろうとも子どもが育ち、育てることは、また、親としての思いや喜び、葛藤が永遠に存在していくということなのであろう。


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