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学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」

20148月】「変化するもの

堅田弘行

先日、児童福祉科の10期生・11期生のすくすく祭りを終え、多くの驚きとわくわくした気持ちを新鮮な気持ちで受け入れることができた。昨年、今の2年生の状況について想像していたこととは異なる現実が今起こっている。見たこともないような学生の表情、これまでは考えられなかった活動への姿勢、全体の一体感をまざまざと感じた。そんな驚きに対し、もしかしたら学生は「毎日頑張ってるから当然でしょ?」と心の中では思っているかもしれない。

ゲーテに関する書物を読んでいた際、「われわれは知っているものしか目に入らない」という言葉に思わずうなずいたことを覚えている。ある対象があったとしても知っている側面には多くを実感するが、知らないものはまず頭で考えようとは思わない。他人の視点が理解できない乳幼児の自己中心性が脱自己中心性に至ったとしても他人の視点のすべてを理解できるのではなく、あくまでも知っていることにおいて脱自己中心化するだけである。この年齢になってもそれは変わらない。知識と経験によって徐々に見方が増えるもののそれが全てではない。また知らないものが実は、知っているものの見方を変えることで「知る」に変化することもあり得ると考えている。常に過去の学生と今の学生とを比べながら観察することで学生の新たな側面を成長という形で知る、実感することができる。

ただ、私が都合のいい人間であるためか、いい加減な性格なのか、知っているものは確かに目に入るが、知っていたことは頭から離れてしまうことが多い。知っていたことを再度実感することで、また新たな「知る」が生まれてくる。

今日もまた学生が変化した。友達思いの優しい学生、勉強は苦手でわからないことが多くて、レポートなどを中々提出できなかった学生、それをもどかしく思いながらも一生懸命する姿、それらを普段から感じていたが、その学生が他の人よりも早く課題を提出していった。誇らしげな顔は自分の変化を実感しているためかもしれない。以前、自分は何をやってもいい結果が出ないと嘆いていたのに、これを書いている間もやはり学生は変化をしている。学生の変化が私の知るを生み、そこから学生の変化をまた感じることができる。


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