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学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」

20146月】「分かったこと

岩見彩子

「おお、あのさんか!」居間の戸を開けた義父が私を見てそう言った。私は彩子という名前なので、「あやこさんか!」と言ったのだろうと思っていたが、そうではなかった。この言葉を始めとして、私は言葉の壁に悩まされることになる。

私は山口県出身で3年ほど前に島根県に嫁いできた。道も分からない、友人もいない。食事の嗜好性も、お葬式の順序も違う。文化の違いに戸惑い、当初は日々多くのカルチャーショックを受けた。しかしやはり一番困ったのは言葉であった。同年代の人とのコミュニケーションはスムーズに出来たが、初老の方くらいになると何度も頭にハテナが浮かぶ。親戚が集まった時などは、ほとんど会話についていけなかった。80%は聞きとれないのだ。「そこ笑うとこ!」と義弟につっこまれたりもしたが、もう一度通訳してもらわないと理解できない事が多かった。他にもこんな事があった。結婚前両家顔合わせの時の事。義父が「うちは昔梨を作っていて、梨山があった」と言ったが、私の家族は「茄子を作っていて、茄子山があった」と解釈しており、どうも話が食い違う。この事は今でも笑い話のネタになっている。

しかしそんな私でも島根便を使いこなせるに至らずとも、聞きとれる様になった。介護関係の仕事に携わる中でお年寄りに教わったのだ。初めの頃の事。「身体がしんどくなったらいけないから・・」と私が言うと、意味が分からないのか何度も聞き返された。そんな事が多々あった事から、ある日他の同僚が使う言葉を真似して言ってみた。「いたしくなってもいけんですけんねぇ」するとその利用者さんが頷いてくれた。私の島根便は通じたのだ。とても嬉しかった。また、山口県出身である事を伝えると、色んな方が言葉を教えてくれた。外から来た人間が自分の生まれた地の言葉を覚えようとしている事をとても喜んでくれた。そして嬉しそうに私に教えるのだ。そして使い方やイントネーションがおかしいと笑ってくれた。その中で気付いたことがある。自分の人生に寄り添おうとする相手には何かしてあげたくなる。そして人は誰かに何かを与えたり、教えたりする事に喜びや生きがいを感じ、それが双方にとってとても心地よいコミュニケーションなのだと思った。子どもからも、高齢者からも私達は多くの事を学べるのだ。どんな時であっても自分は教えてもらう立場である事を、私は忘れずにいたいと思う。そう考えてみると、福祉の役割とはお互いの人生をより豊かにしていくためのものであるのだと思う。本校には茶話訪問という、独居高齢者宅を訪問し交流する事業があるが、その取材が出来る日を私はとても楽しみにしている。


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