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学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」

20142月】「美術館で見つける子どもの発達

オカザキ ユミコ

先日、立て続けに島根県立美術館に出かけて行った。島根県美術教育連盟が主催する通称、県展と呼んでいる絵画展と、もう一つは松江市保育所(園)・幼稚園造形展が開催されていた。県展は、島根県内の保育所(園)~中学校までの児童の絵画作品が展示され、市美展の方は、松江市内の保育所(園)と幼稚園の乳幼児たちの絵画作品と毎年一つの大きなテーマが決められそれを基に各ブロックごとに地域性も取り入れながら、子どもたちと一緒に造形としての共同作品を創り上げていく。その渦中にいると、毎年めぐってくるこの展覧会までの山あり谷ありに翻弄される。雪の積もった松の木の下まで松ぼっくり探しに出かけたこともあった。貴重な作品が国内外から運び込まれ展示される美術館。そこで展示される子どものたちの作品は、木の実や枝など、どんな小さな物でもそのまま作品として使うことはできない。その一つ一つを煮沸する。素材や材料選びに四苦八苦し続けながらの作品創造をしていく保育者と子どもたち。搬入当日は、保育者が舞台美術監督のごとく、脚立を抱えロビーいっぱいに飾り組立てていく。そんなことは作品を観に来る方には解らない内緒の話であるが、今回は現場から離れた私の思いでこの二つの展覧会をゆっくり観て歩くことができた。今回、県展と市美展の両方が、0歳からの作品で並べられていたのが嬉しかった。学生たちは、いろいろな授業の中で子どもの発達について学んでいくが、0歳児が表現する点と線の絵。同じ0歳児からでも微妙に線や点のかたまりが変化していくことに気づく。順を追って観て歩くと発達という言葉が素直に受け止めていける。そして、納得しつつも何故そうなのか、という次の学びに繋げていこうとする。

「子どもの表現を語る会」という研修会が20年前に発足し、名称を「公界」としながら今も続いている研修会がある。私も参加しているが、子どもが何気なく選びとるクレヨン一本、色や線にもその子どもなりの意味をもち、描かれていく全ての構図をその子どもの表現として捉え、発達の意味やふさわしい支援を考えながら、保育現場に居る頃は日々の保育を構築する上でとても大きな力となっていた研修会だった。姪の子ども、男の子(3歳)が幼稚園に通いだした。去年の秋、公民館で地域の作品展があり、興味津々出かけて行った。白い画用紙の真ん中に黒い大きな○が、その中に3つのまる。画用紙の隅っこに小さな黒いまるが一つ。姪は、我が子の言葉に出さない切なさを感じ取り、私の姉はその表現に驚き、私はというと「よくぞこんなに素直に描けたな」と感心した。その頃、姪の子どもは“お兄ちゃん”となり、これまでの3人の家族から4人家族になったばかりだった。

子どもの絵一枚から今まで気づかなかった言葉として発しないその子どもの内面を知っていくことができる。今回、美術館で観た2つの展示作品、0歳児からの表現描写から始まって中学生の写実絵までゆっくり観て歩きながら、あらためて見えてくる子どもの発達の面白さ、楽しさを感じることができた。学生たちにも是非、美術館に足を運んだり、自分の身近な子どもの絵や自分が表現していこうとするものの意味をじっくり考えてみる楽しさを感じ、いろいろな学びに繋いでいってほしいと思った。


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