Top > 学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」 > わかりにくいことがあってもいい

学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」

20138月】「わかりにくいことがあってもいい

ハマダ タイチ

リレーエッセイを書く番になると、毎回何を書けばいいのだろうかと悩みます。普段、耳目にすることに対し、自分なりの考えを持っているはずなのですが。今回は、先ごろ行われました参議院選挙の際に考えたことを書いてみたいと思います。

ニュース番組は、今回の選挙は、対立軸がどこにあるのかが見えにくく、与野党は対立軸を明確にすべきだと報道していました。このような論調を聞く度に、わかりにくいものをわかりやすく伝えることがマスメディアの本領ではないのか、と不満と焦りを覚えました。確かに、候補者は違いを明示する責任があると思いますが、同時にマスメディアはそれらの主張を精査し、お茶の間に届けることで、議論を活性化させることが仕事なのでは?候補者のせいばかりにはできないと思うのですが…。

どちらも当てにできないのであれば、せめて自分で論点を設けて、軸をつくる努力をしてみようと考えました。興味のある領域である経済と雇用と待機児童を論点にして、各政党の主張を比較してみました。そうすると、例えば待機児童0で知名度を上げた横浜方式の問題点やブラック企業対策への各党の取り組みとその変遷など、様々な情報を得ることができ、また、各政党のここは頷けるが、ここは嫌だということが随所に起こります。保守革新のそれぞれの主張を確認しながら、右に左に揺れることで、それぞれの主張を勘案した結果の投票ができたように思います。わかりやすくない選挙戦が、結果的には、自分自身の考えに振り返りの時間を与えてくれました。

情報は相手に伝わる必要がありますが、行き過ぎた「わかりやすさ」は思考停止状態を作りそうです。ややもすると都合のいい対立軸を作られて、諸課題を捨象される可能性も否めません。そして「わかりにくい」ことは一方的に相手側の責任としてしまい、自ら考える機会の放棄も起こりそうです。

このわかりやすさの問題は、私の授業の中にも存在しています。学生が理解できるようにという気持ちは常に持っていますが、ややもすると、熟考が必要な部分まで、平易な表現をしているのではないか。同時に、学生は考える機会を放棄していないか…。

後日譚ですが、やや複雑な題材を用いて2回の授業を行いました。案の定、授業の感想カードには「難しかった」「わかりやすく教えてください」という言葉が並び、自身の力不足を感じさせられます。

今回の授業はわかりにくかったようなので、学生には何がわかりにくいのかを明確にしてもらいながら、それに対して丁寧に応答する、そのような授業展開を目指したいと思います。前期試験までわずかに時間がありますから、質問は大歓迎です。

「わかる」ということは、その情報に関与している人たちの共同作業の上に成り立っているのだと思います。


わたぼうし《記事一覧へ》