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学校スタッフリレーエッセイ「わたぼうし」

20134月】「共有すべきもの

余村 望

もう30年以上も前になるだろうか。奈良たんぽぽの家から始まったわたぼうしコンサートは障害をもつ人たちの胸の内をメロディーに乗せて伝えるそれまでにない音楽祭だった。彼らが本来的に持つ魂の暖かさや逞しさや儚さが込められた言葉が歌になっていた。共に生きようという障害をもつ人たちの主張が初めて社会化された気がしたのを覚えている。

随分前の話なのでうろ覚えなのだけれど、絵本作家の田島征三さんがある知的障害を持つ青年の話を聞かせてくれた。信楽のある窯業所へ働きに行くその青年は、朗らかで人懐こいのだけれど癖がある人だ。仕事は全くはかどらない。手順が理解できないのだ。お金儲け最優先の日本社会では全くもって役に立たない部類の人だった。ところが、彼が来てからパートのおばちゃんたちが明るくなった。「あの子は、何でもはできないけれどできることはあるね」とか「いるだけで助かるよね」とか、彼を中心に会話が増えた。生産能力の低い彼の、不器用だけど素朴でひたむきな姿がおばちゃんたちに何らかの潤滑油を与えたのである。その結果、驚いたことに彼が来てから逆に生産性が上がりオーナーが喜んだというのだ。

このエピソードが何を意味するのかが何とはなしにずっと気になっていた。そして、その答えを導き出す大きなヒントなのかもしれないと思える一つの新聞記事に出会った。澤田康幸氏(東京大学大学院助教授・経済学者)の「“絆は資本”の解明進む」(日本経済新聞朝刊2012/12/18)である。誤解を恐れずにはしょって言えば、氏が東北の震災復興に携わる中で「人々の強いつながりや助け合いが復興の原動力として注目されている」ことを痛感し,ソーシャル・キャピタル、つまり社会関係資本と名付けられるところの、人々の信頼を軸とした社会的つながりの蓄積がこれからの社会にとって重要だと言っているのである。

日本は、長い間「ムラ」と表現される共同体の歴史を築いてきた。そこには、村人同士の強い絆がある代わりに、余所者を近づけない閉鎖性が堅固だった。厳しい自然環境の中で乏しい生産物を糧に生きて行くには必須のシステムだったと言える。その後、戦後日本は福祉国家構想の下に経済至上政策を打ち出し高度経済成長を成し遂げた。だが、大都市の人口過密を背景とし、一方で地方の過疎問題を引き起こした。都市も地方も劇的な生活様式の変化がもたらされたことはご存じのとおりである。

そこで、である。澤田氏は記事の中で、日本において高度経済成長を牽引した市場原理社会は、1人当たりのGDP水準は高いがソーシャル・キャピタルの社会的収益率が低いことを解明した。つまり、一部の牽引者に利益が集中し、容易に他者を受け入れない共同体的結束と閉鎖的特徴が表れているというのである。共同体的性質が「ムラ」社会から「企業」社会へと棲家を変えたという解釈もできる。なるほど、格差社会とは、こうした構図によって発生しているのだと納得した。

現代社会にソーシャル・キャピタルの概念を定着させる役割を果たしたアメリカの政治学者R.パットナムは、今後、停滞する地域社会の再生を考えようとする時「信頼」と「規範」と「ネットワーク」の重要性を説いている。そして結果的に、ソーシャル・キャピタルの蓄積は社会の利益性を向上させるとも言っている。人間同士の社会的関係が資本として有効だと言っているのである。一般に生産は「労働」「土地」「資本」を要素として生み出される。これらは全て企業等の事業体が所有するものだ。これに比較して、澤田もパットナムも人々が社会関係において共有すべきものとしてソーシャル・キャピタルを位置付け、その重要性を指摘している点が共通している。多様な人々や社会構成要素を橋渡しする“絆”としての価値を見出しているのである。

私は、出発点は交流ではないかと考えている。つまり、自分とは異なるあり様や価値観を受け入れることである。更に、一部の同胞の利益を追求するのではなく、多様な者の利益を保障する仕組み、長いスパンの「互酬」を生活下にシステム化することが重要ではないかと思っている。

互いに見ず知らずの信楽の知的障害を持つ青年とおばちゃんたちの交流。そこに生まれた肯定的な人間関係。失敗を責めず次の成功を願い期待する姿勢。それはまさに未来を切り拓く一つの人間の社会関係と言って良いのだろうと納得した。

生産性を上げるために効率性を求めようと異質を排除する手法を長く日本は採ってきた。能力主義とか合理化などという言葉はそれを象徴するもののように私には聞こえてくる。ところがその背面では切り捨てられた生活弱者が後を絶たない。そんな社会を共生社会とは決して呼べないだろうと思うのである。


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